このシリーズでは、Windowsの歴史を通して、現在の技術を再確認していきます。元々は「アットマークIT」で連載していた「Windows温故知新」という記事でしたが、担当者の異動に伴い第7回で終了となったため、弊社ブログにて続きを掲載します。
第1回から第7回の紹介はこちら
第8回から第12回も弊社ブログで掲載しています。
Windows NT 4.0でサーバー市場での地位を確立したマイクロソフトですが、大規模環境に実際に導入されると、不満も出てきました。特に問題になったのは大規模環境への対応です。こうして登場したのが「Windows 2000」です。今回は、Windows 2000とActive Directoryドメインサービスの背景を紹介します。
マイクロソフト最初のサーバーOSであるWindows NT 3.1が1993年に登場してから毎年のようにバージョンアップを繰り返し、1996年のWindows NT 4.0で一応の完成となります。具体的には、クライアントOSであるWindows 95と同じ操作性を持ち、Windows 95と互換性のあるAPI(アプリケーションプログラムインターフェース)の実現です。これにより、サーバーとクライアントで同じアプリケーションを同じように操作できるようになりました。採用する企業が増え、「NTバブル」といった状況になったのは前回紹介したとおりです。
次にマイクロソフトが問題視したのが、管理できるユーザー数です。Windows NTで管理可能な最大アカウント数はざっと4万で、大規模企業には対応できません。そこで、マイクロソフトでは次期Windowsでユーザー管理システムを一新します。これが現在まで続く「Active Directoryドメインサービス」です。
次期Windowsの情報が出てきたのは1997年頃なので、Windows NT 4.0の翌年です。当初は「Windows NT 5.0」と呼ばれていました。コードネームはありません。開発責任者だったジム・オールチンがコード名を嫌ったという話もあります。ちなみにジム・オールチンはその後もWindowsの開発責任者を務めますが、Windows Vistaの発売を見届けて引退したそうです。引退後はプロのミュージシャンになったとか。そういえばWindows XPの開発末期、開発チームの緊張を和らげるために毎週金曜日にバンド演奏(ジャムセッション)をしていました。たまたまWindows XPのトレーニングでマイクロソフト本社にいた私も、トレーニング中に仲良くなったマイクロソフト社員の案内で見ることができました。IT業界には音楽をやる人が多いようですね。同僚によると「ITと音楽、どちらもコードが大事」ということです。
新バージョンの目玉機能は何といってもActive Directoryドメインサービスですが、OSの中心部(カーネル)にはそれほど大きな変化はなかったようです。
しかし、大ヒットしたWindows NT 4.0のあとがWindows NT 5.0という名前では少々インパクトに欠ける、と思ったかどうかは分かりませんが、正式発表の直前に「Windows 2000」に名称変更されました。そんな深い意味はなく、クライアントOSであるWindows 95やWindows 98に合わせただけというのが真相かも知れません。
Windows 2000の製品ラインナップとしては、以下のものが用意されました。
これらは、エディションの違いでありOSの名称としてはすべて「Windows 2000」ということです。
Windows 2000のインストール画面(アップグレード) Windows 2000のインストール画面(初期インストール)
Windows 2000は、サーバーOSとして初めて「プラグ・アンド・プレイ」に対応しました。その結果、同じカーネルを使うクライアントOS「Windows 2000 Professional」はWindows NTの持つ堅牢性と、Windows 95系列の持つ利便性を持ち、ハイエンドユーザーにも導入が進みました。
ただ、ゲームを中心に互換性には制約があったこと、価格が高めに設定されていたこと、家庭向けPCのプリインストールモデルが少なかったことから、広く一般に普及するまでには至りませんでした。
マイクロソフトとしては、Windows 2000からクライアントOSもWindows NT系列に統一したいと、当初は思っていたようです。Windows 95の後継として、1998年にはWindows 98、1999年にはWindows 98 SE(Second Edition)が登場し、次はWindows 2000 Professionalという流れです。しかし、こうした流れは製品版が出る頃にはトーンダウンし、Windows 2000が正式に発売された2000年にはWindows 98 SEの直接の後継バージョンとしてWindows Me (Millennium Edition)が登場します。
Windows Meは、いくつかの新機能と安定性の強化が図られていましたが、Windows Meの翌年2001年にはWindows NT系列で本格的に個人ユーザーをターゲットとしたWindows XPが登場したこともあり、Windows Meは短命に終わりました。
ちなみにWindows XPは、ハイエンドユーザー向けの「Windows XP Professional」に加えて、一般消費者向けで若干の機能制限はあるものの、安価な「Windows XP Home Edition」が登場し、Windows 95/98/98SE/Meの後継と位置付けられました。
余談ですが、当時、筆者の自宅でのメインマシンはWindows NT 4.0 Workstationを使っており、Windows 2000はインストールしませんでした。ただ、サブマシンとして使ってた小型モバイルPCには開発者向けライセンスを利用してWindows 2000 Serverをインストールし、イベントでのデモマシンとして使っていました。VHSビデオテープと同適度のサイズでActive Directoryドメインが構成できたので、イベント参加者からもちょっと驚かれました。
暗号化技術は軍事技術と密接に関係しています。特に、1990年頃までの米国は高度な暗号化技術に対する厳しい輸出規制がありました。たとえば当時の米国政府標準だったDESのソースコードは規制品目に含まれていました。ソースコードではなく、DES暗号化機能を組み込んだ製品を輸出することはできますが、その場合でも暗号化強度が制限されています。要するに「米国が使うのは高度な暗号化、他国の通信は(米国が盗聴できるように)低いレベルの暗号化のみ許可」ということです。
状況が変わったのが1990年代後半から2000年頃です。輸出管理規制が緩和され(廃止ではない)、高度な暗号化技術を使った製品も多くの国に輸出できるようになりました。これを受けて、Windows 2000には「高度暗号化パック」というフロッピーディスクが付属することになりました。CDの出荷スケジュールが決まってから輸出管理規則の変更があったためのようです。高度暗号化パックは、暗号化レベルを56ビットから128ビットに拡張するものですが、これ以降のWindowsでは高度な暗号化が標準機能となり、フロッピーディスクの添付は1回限りのことでした。
Windows NT 5.0改めWindows 2000の目玉機能である「Active Directory」は、マイクロソフトの登録商標です。米国の登録商標は「名詞を修飾する形容詞」として使用するのが鉄則です。また、名詞部分は、その登録商標が属する分野の名称を使います。たとえば「Windows」は登録商標なので「Windowsオペレーティングシステム」や「Windowsサーバー」などと記載するのが原則です。
Windows 2000登場当初はこの原則があまり守られていなかったようですが、Windows Server 2003が登場する頃には「Active Directoryディレクトリサービス」の表記が増えました。しかし、これは何か不自然ですよね。英語で書くと「Active Directory directory service」となって、Microsoft Wordで記述すると赤い波線が引かれます(画面)。
Active Directory directory service
不自然な名称は誰も使ってくれませんし、誰も使わないと商標の効力が薄れます。そこでマイクロソフトはWindows Server 2008が登場したタイミングでActive Directoryを「特定のサービスを示すものではなく、IDとアクセス管理のブランド」と位置付けるようになりました。そして、従来のActive Directory(Active Directoryディレクトリサービス)は「Active Directoryドメインサービス(略称: AD DS)」としました。Active Directoryブランドのサービスは、他に「Active Directory証明書サービス(AD CS)」などがあります。AD CSはデジタル証明書を発行するサービスですが、AD DSとは無関係に構成することも可能です(スタンドアロン証明機関)。
こうした経緯があるので、現在でも「AD DS」を単に「Active Directory」と呼ぶことはしばしばあります。正しい製品名ではない(正しくは「Active Directoryドメインサービス」)、商標の使用規則に違反している(形容詞的に使っていない)ということで、マイクロソフトからは2つの意味で叱られそうです。
1995年にDigital Equipment社(DEC)の教育部門が売却され、Global Knowledge Network Inc.が誕生しました。日本法人は「グローバルナレッジネットワークインク日本支社」で、実質的には1996年5月の連休明けからスタートしています。2001年には「グローバルナレッジネットワーク株式会社」となり、日本支社ではなくなりました。その後、2004年には資本関係も切れ、名称はそのままに独立企業となりました。
Windows 2000のトレーニングは1999年のベータ3からスタートしていますが、これらはマイクロソフトのパートナー企業向けでした。2000年からは正式版で公開コースが開始され、ほぼ同時期にマイクロソフト認定技術者試験もスタートしました。
私はベータ試験候補者に選ばれたため、他の人より少し早く受験し「Charter Member 2000」に認定され、アクリルの盾をもらいました(写真)。世界で最初の2000人だそうです。ベータ試験は英語で、当時は通常の2倍から3倍の時間をかけて行なわれました。試験科目によって時間は違うのですが、最大で4時間だったと思います。
試験履歴を見ると、4月4日(火)、4月5日(水)、4月7日(金)、4月11日(火)、4月12日(水)、4月14日(金)と2週間で6科目を受験したようです。今はもう体力も集中力も続かないような気がします。
Charter Member 2000
月刊「WindowsNT World」を発行していたIDGジャパン(当初はIDGコミュニケーションズ)は、ムックとして「Windows 2000 World」を1999年11月号別冊および2000年2月号別冊として発行しました(写真)。
1999年11月号別冊
2000年2月号別冊
Windows 2000 Serverの試用版CDが付属した
1999年11月号別冊では全162ページ中110ページがトレノケート社員(当時のグローバルナレッジネットワーク社)の執筆でした。さすがに1社が目立ちすぎると思ったのか、2000年2月号では著者名がクレジットされませんでした。自分で書いた文章はだいたい分かるものですが、さすがに四半世紀前だとちょっと自信ないですし、同僚が書いた記事もあるのでよく分かりませんでした。目次には「原稿執筆」として私を含むトレノケート社員4名のみ、編集協力として私の名前が掲載されていたので、トレノケート社員と編集部だけで構成したのだと思います。
ついでに2000年2月号別冊に掲載されたグローバルナレッジネットワーク(当時)の広告も紹介しておきます(写真)。
2000年2月号別冊に掲載されたグローバルナレッジネットワークの広告
1999年には「Windows 2000 Active Directoryドメイン構築ガイド」という書籍も登場しました(写真)。こちらはWindows 2000ベータ3をベースに、マイクロソフト社員の方たちと共同で執筆した書籍です。あまり情報がない時期で、執筆は大変難航しました。しかも、初校が出てから担当編集者からマイクロソフトの開発チームの方に監修をお願いしたところ、案の定、大量の修正が出て、各方面に大変ご迷惑をおかけしたことを覚えています。
日経BPからは「完全技術解説」シリーズとして、歴代最大1,094ページの「Windows 2000 Server完全技術解説」が出版されました(写真)。本作から私が全体の監修もしています。1999年のベータ3から執筆を開始しました。作業は予定よりかなり遅れたのですが、無事2000年内に出版されました。
Windows 2000の最大の特徴はActive Directoryドメインサービスですが、日本で従業員数が1万人を超える企業は180社程度、4万人を超えるのは50社程度だそうです。ほとんどの企業にとってはそれほど魅力的な拡張ではありません。Active Directoryドメインが普及するのは、もう少し後になってセキュリティが重視されるようになってからです。
また、Windows NT 4.0時代に別エディションとして提供された「Terminal Server」の機能が標準搭載され、「Terminal Service」となりました。いわゆる「シンクライアント」機能ですが、2000年の時点では互換性の問題が大きく、利用範囲は限られていました。クライアントライセンスが別売りのせいもあって、こちらも訴求力は弱かったようです。
このように、Windows 2000のサーバーとしての評価は、決して悪くはなかったのですが、Windows NT 4.0導入企業が積極的に導入するほどでもなかったというのが率直な感想です。
一方で、クライアントの評価はかなり上がっていました。デバイスのサポート範囲が広がり、プラグ・アンド・プレイの安定性も大幅に向上しました。そもそものOSの安定性も大幅に向上しており、Windows 95や98からの移行組も多かったようです。それでもアプリケーションの互換性や価格の問題があり、2000年当時のPCのプリインストールOSはWindows 98 Second Edition(1999年)やWindows Me(Millennium Edition)が中心で、Windows 2000は企業向けの一部に限定されていました。
こうした中で、積極的にWindows 2000を導入した企業もあります。その多くはセキュリティ上の要望からです。これについては次回に持ち越しましょう。
今回は、Windows 2000の登場を扱いました。次回はWindows 2000とともに鳴り物入りで登場したActive Directoryドメインサービスについて、どのような機能が導入され、どのような問題が解決したのかを解説します。
「Windows 2000 Active Directoryドメイン構築ガイド」ソフトバンククリエイティブ
吉田篤史・横山哲也・中村紳吾・大澤文孝 著
「Windows 2000 Server完全技術解説」日経BP
横山哲也 監修・共著
WindowsNT World 1999年11月号別冊「Windows 2000 World」IDGコミュニケーションズ
WindowsNT World 2000年2月号別冊「Windows 2000 World」IDGジャパン
1993年 トレノケートの母体となった「日本DEC教育部」マイクロソフト認定教育コース提供開始
1993年 「月刊Windows World」創刊
1993年 Windows NT 3.1
1994年 Windows NT 3.5
1995年 「Windows NT 3.5完全技術解説」出版
1995年 Windows NT 3.51
1995年 Global Knowledge Network Inc.創立
1996年 「Windows NT 3.51完全技術解説」出版
1996年 Windows NT 4.0
1996年 「月刊Windows NT World」創刊
1997年 「Windows NT 4.0完全技術解説」出版
1997年 Windows NT 4.0, Enterprise Edition
1998年 Windows NT 4.0, Terminal Server Edition
1999年 Windows 2000ベータ3公開
1999年 「Windows 2000 Active Directoryドメイン構築ガイド」出版
2000年 Windows 2000
2000年 「月刊Windows 2000 World」創刊(Windows NT Worldから名称変更)
2000年 「Windows 2000 Server完全技術解説」出版
2001年 グローバルナレッジネットワーク株式会社(日本法人として独立)
2003年 「月刊Windows Server World」創刊(Windows 2000 Worldから名称変更)
2004年 グローバルナレッジネットワーク株式会社が米本社から独立
2009年 「月刊Windows Server World」休刊