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「インターネットは使いものになりませんよ」鶴保征城氏に聞く、データ通信の夜明け

トレノケートの顧問を務める鶴保征城氏は、旧電電公社でネットワークや大規模システム開発に携わり、NTTデータ常務取締役、NTTソフトウェア社長などを歴任されてきた人物です。

日本初となる国産コンピューター(メインフレーム)の開発をはじめ、インターネット以前から日本のデータ通信に深く関わられてきた鶴保氏は、時代の移り変わりをどのように見つめてきたのでしょうか。

データ通信の黎明期や「時代が変わる節目」となる出来事などについて、トレノケート取締役の杉島泰斗が話を伺いました。

データ通信の黎明期に、国産のコンピューターを開発

杉島
鶴保先生はインターネットが日本に普及する以前から、NTTで通信事業に関わられていますよね。キャリアをスタートされたころ、技術的にはどのような環境だったのでしょうか?


鶴保
私が入社したのは1966年。NTTが民営化する前、まだ電電公社(日本電信電話公社)だった時代ですね。1964年の東京オリンピックがひとつのきっかけになって、コンピューターと電話回線を結びつけた「データ通信」が日本で始まったころでした。

それまでの電話交換は全て、アナログな機械で行われていたんですよ。通信をコンピューター化するには、これを電子交換機に置き換えないといけないわけです。


杉島
まさにデータ通信の黎明期だったんですね。


鶴保
この超大型プロジェクトに5年ほど携わり、いよいよデータ通信に本格的に取り組もうか……というときに、大変な議論が社内外でおきたんです。電電公社は「電信」と「電話」を担う公社であり、国民の税金でコンピューターなんてものに手を出していいのかと。


杉島
今では考えられないですね……! それだけ通信とコンピューターが結びつかなかったということでしょうか。


鶴保
そうですね。国会でも、「電話のためにつくった電話回線をコンピューターに使っていいのか」と議論になったんです。結局は「電信電話の付帯事業としてやればいいのでは」という結論になったんですが。


杉島
​​​​​​​それでやっとコンピューターを扱えるようになったんですね。


鶴保
ところが議論はまだ終わりません。まだコンピューターそのものが日本になかったころ。今度は「国家的な事業に特定のメーカーのコンピューターを使うのはいかがなものか」と……。それなら電電公社がコンピューターを作ればいい、となったんですね。

それが1970年ごろ。私はこの国産コンピューターの開発に携わることになりました(※注)。横須賀の電気通信研究所で5〜6年かけて開発し、さまざまなシステムへ導入していきました。

※注:このとき開発されたのが、旧電電公社が開発を主導したメインフレーム用OSである「DIPS(Dendenkosha Information Processing System)」。NEC、日立製作所、富士通との共同研究で開発された。


杉島
たとえば、どんなシステムに導入されたのでしょうか?


鶴保
郵便貯金や年金、国税といった、国全体が対象の大規模システムですね。銀行同士を結んだ「全国銀行データ通信システム」にも使われました。電電公社のコンピューターと電話回線を使って、さまざまなサービスのオンライン化を進めたわけです。1970〜80年代のことですね。


杉島
なるほど。電電公社の民営化が1985年でしたよね。鶴保先生が1993年にNTTデータに移るまでは、NTTでどのような仕事に携われていたんでしょうか?


鶴保
1989年にソフトウェア研究所の所長になりました。ソフトウェア工学を研究するために作られた研究所です。

ソフトウェア工学は「どうすれば品質のよいソフトウェアを生産性高く作れるのか」を研究する分野です。数百人から数千人規模の人員を集めて管理しようにも、バグはたくさん出るし、スケジュールは遅延してしまう。工場のものづくりのように品質や工程を管理しても、ソフトウェア開発ではうまくいかない、とわかってきたころですね。

とはいえ、これは今のソフトウェア開発にも通じる話です。最近ではみずほ銀行もシステムトラブルを起こしていましたよね。こうした問題は、1980年代からずっと続いているものなんですよ。

インターネットは「未熟で使えない」という評価だった

杉島
電気通信がコンピューター化される歴史に立ち会ってきた鶴保先生にとって、「時代が変わる節目だった」と感じる出来事はなんでしょうか?


鶴保
やはりインターネットが勃興してきたときでしょうか。NTTデータに在籍した、93〜97年ごろですね。


杉島
当初、インターネットという技術は、どのように受け止められていたんですか?


鶴保
「まだまだ未熟」という評価でした。それで、社長命令でアメリカに調べに行ったんですよ。

当時、コンピューター同士をつなぐ回線をどうするのか、という議論がありました。それまでの銅線では限界がある、と。次の候補として光ファイバーがあり、CATV(ケーブルテレビ)があり、そしてインターネットがあった。

では実際のところどうなのかと、ソフトバンクの孫正義さんや、CSKを創業された大川功さんらと一緒に、業界ツアーを組んだんです。


杉島
NTTデータ、ソフトバンク、CSK……。ライバル会社と言ってもいいのに、一緒に行かれたとはすごいですね。


鶴保
まさに呉越同舟でね(笑)。向こうに着いてみると、東海岸のほうは日本と同じく光ファイバーやCATVが主で、電話の世界の延長戦上でネットワークが考えられていた。

ところが西海岸に行って、みんなびっくりしたんですよ。どこに行っても「日本の皆さん、これからはインターネットの時代ですよ」という話が聞こえるわけです。

それまでの電話交換機は、何億円もかけた巨大なコンピューターそのものでした。しかしシスコを訪問したら「これがインターネットの電話交換機みたいなものです」と両手で軽く抱えられるほどの箱が出てきて、同じことができている。驚きましたね。これはすごい、と。


杉島
すぐに「これは世界を変えるぞ」という印象だったんですか。


鶴保
そうですね。私は開発部隊だったので、すぐ頭が切り替わったんですが……。これを事業に反映するまでには、かなり時間がかかりました。金融や公共の事業部からは「鶴保さん、インターネットというのを研究しているらしいけど、あれは使いものになりませんよ」と何回も言われましたね。


杉島
アメリカで見た印象と真逆の評価じゃないですか。


鶴保
通信方式が180度変わることに抵抗があったんです。電話をはじめ、それまでの通信はエンドツーエンドで回線を確保していました。通信相手とひとつの線でつながったのをしっかり確認してから、データを流すイメージですね。

ところがインターネットは、送るデータを「パケット」という単位でバラバラにして、ルートを問わず相手まで送るという考え方。届いた先で、パケットを組み立てて元通りのデータにするわけです。通信のプロたちから「そんなやり方ではパケットがどこに行くかわからない」「どうやって通信の保証をするのか」といわれて、延々と議論をしましたね。


杉島
これまで確立してきた概念を覆すわけですから、無理もなかったんでしょうね。


鶴保
特に日本人の場合、新しい技術に対して拒絶反応を示しがちなんです。新しいものは荒削りなことも多いですから、その段階で「使いものにならない」という評価になってしまう。携帯電話だって、そんな感じだったんですよ。

乗り越えてきた過去があるから、悲観しなくてもいい


杉島
この流れで携帯電話との出会いについても聞かせてください。鶴保先生が携帯電話にはじめて触れたのはいつごろだったんですか?


鶴保
1990年ごろでしたかね。もともと、携帯電話は1980年代からあったんですよ。いまの携帯電話は5G(第5世代)ですけど、1G(第1世代)の時代ですね。私自身がはじめて1Gの携帯電話を使ったのが、アメリカのサンディエゴでした。


杉島
それも、NTTデータで視察に行かれたときに?


鶴保
いえ、プライベートで友人と遊んでいたときのことです。友人がサンディエゴの湾をクルーズしようというので、船に乗ったんですね。その船にモトローラ社のマイクロタックという携帯電話が置いてあった。ちょっと大きいけど、手に持てるくらいの大きさです。友人が「日本に電話していいよ」と言うので使ってみたら、ちゃんと通話ができる。「こんなことが本当に可能なんだ」とショックを受けましたね。


杉島
船の上で使ったのが初めてだったとは! 実際に使ってみて、日本でも携帯電話が普及すると思いましたか?


鶴保
いえ、日本は公衆電話が津々浦々にあったじゃないですか。だから携帯電話がなくても、特に不自由することがないだろうと思ってしまったんですね。

新聞記者から「インドネシアには携帯電話があるのに、なぜ日本にはないんですか」と聞かれたときも、インドネシアは島国だから有線がなかなか引けないんです、と答えた記憶がありますよ。


杉島
それが今や、街中で公衆電話を探すほうが難しくなっていますからね。


鶴保
いま考えたら、先を見る目がなかったですね(苦笑)。そのあと1G、2Gと来て、1999年にiモード、2001年に3Gができた。それで安心していたら、今度はiPhoneがきたじゃないですか。これでまたびっくりしましてね。


杉島
こうして振り返ってみると、鶴保先生にとっても今の社会は、想像と全然違うものになっているということでしょうか。


鶴保
そうですね。iPhoneが登場したときも、ここまで世の中がスマートフォンに依存することになるとは、誰も想像できなかったじゃないですか。だから結局、予測というのは外れるものなのかもしれません。


杉島
たとえ最前線にいても、ですか。


鶴保
逆に、最前線でよく知っていれば知っているほど、新しいものに否定的になるんでしょうね。そしてこの問題は今も変わっていないと感じます。

いま、世の中は未来に対してとても悲観的でしょう? でも、過去のあらゆる問題を乗り越えて今があるわけです。だから、そんなに悲観することもないと思うんですよね。


中編に続く
(企画・取材・執筆:井上マサキ 撮影=小野奈那子 編集:鬼頭佳代/ノオト)



取材先のプロフィール



取材先名:鶴保征城(つるほ せいしろ)氏
詳細なプロフィール:
大阪大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了後、日本電信電話公社(現NTT)に入社。ネットワーク、IT、特に大規模ソフトウェアシステム構築及びソフトウェア生産技術の開発に従事し、NTT研究所長、NTTデータ常務取締役、NTTソフトウェア社長等を歴任。その後、高知工科大学教授に転じるとともにIPAのSEC所長に就任し、ソフトウェアエンジニアリングに関する大規模な産官学連携プロジェクトを指揮する。

現在、高知工科大学客員教授、学校法人HAL東京校長、組込みイノベーション協議会理事長、先端IT活用推進コンソーシアム会長、を務める。論文、著書多数。

人材育成の専門企業 トレノケート

トレノケートは25年以上の歴史を持つ人材育成の専門企業です。IT研修やビジネス研修をはじめとする⼈材育成ソリューション を多数提供しています。2020年度は、世界最大級の人材育成の情報プラットフォーム Training Industry において、世界で最も優れた IT トレーニング企業 20 社の1つとして2020 Top IT Training Companies に選出されました。

トレノケートは人材育成を通じて、顧客ビジネスの成長を支援します。

トレノケートについて

杉島泰斗(すぎしま たいと)

杉島泰斗(すぎしま たいと)

トレノケートホールディングス 代表取締役社長。熊本県出身。東京工業大学を卒業後、SCSデロイトテクノロジー、不動産ポータルサイトLIFULL HOMES、株式会社クリスク 代表取締役を経て現職。

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